2011年9月11日日曜日

鉢呂経済産業大臣の辞任は軽すぎるという印象。

第一に「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」(wiki) と発言しこれを陳謝撤回。第二に[非公式の取材の場で着ていた防災服の袖を毎日新聞社の記者に擦りつけ「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をした]( wiki)とこの二つの発言で大臣を辞任したわけですがどうですかね。
野次馬としては第二の悪ふざけは「ガキだな」と眉をひそめますが第一の発言は事実のこと。この発言に怒っているのがどうも原発推進派の人たちのような気がします。報道も野党が追求必死だとか煽っています。
個人的にはこういう発言はどうでもいいことでこういった事実認識のもとでどんな処置が望ましいかというこれからの対処の方向などをききたいわけで大臣が辞任してもなんら状況がかわるわけではない。大臣が辞任して荷が軽くなるのは野党の批判の勢いをそぎたい野田首相ぐらいか。
だが少しも粘れない鉢呂氏もだらしがない。「原子力発電の危険を実感しました。この不幸な事故を踏まえて脱原発の方向に向かっていきたいと思います。」とかいえば拍手する人のほうが多いのにおびえきってつまらない言い訳をするばかり。第二の件はあまりにも悪ふざけですが「放射能をあびる危険のある場所を視察した緊張感がどれほどのものか理解してもらいたい」とかいえばなんとか申し訳がたつとおもうんですがここで辞任。おそらく口が重いのが取り柄の野田首相に嫌われたのかもしれませんね。まさに口は災いのもとですがこれぐらいの不始末も乗り切れないとは情けない。
野田首相がどれぐらい野党の追及に耐えられそうかうかがえるような気がします。

2011年8月15日月曜日

野田氏の大連立構想は民主党の終焉なのでは?

いよいよ菅首相の退陣をうけて代表戦を狙っている立候補予定議員がしかけてきているようですがその一人の野田佳彦氏の口からオールジャパン、すなわち大連立構想が話されたのは意外でした。
菅首相も大連立に前向きでしたが次の代表立候補予定者までこんなことをいうとはここまで民主党が駄目政党だったのかとがっくりです。
本来はどんなに苦労しても自分の政党が主張するところは主張しねじれ国会で達成できないところがあったとしても最善をつくして民主党らしさをだすのが民主主義だと思うのですがこれでは一党独裁志向だと思われても仕方がない。
大連立になれば表立った論議はあまり必要ないし内々のボスの間の駆け引きで最終的に決まる感じです。古来の利益誘導型が復活するのではという気もします。
民主党が選挙に勝ったときのマニフェストが口ばかりで実現できなかったとしても初の政権担当だということで心のそこでは仕方がないかなと思うところもあります。しかしここにいたって大連立をのたまうのは政治能力が足りないのかもしくはあまりに人材が不足しているのかと思わざるを得ない。なにゆえ大連立をしたいのかその本心がわかりませんが大連立をすれば民主党が崩壊するのは目に見えているように思えます。
まぁ確かに自民党の長期政権で優秀な人材が与党よりになったのは仕方がないとしても政治は官僚やエリートがしてよくなるものでもない。国民に近い感覚をもって国民よりの政治をしてくれればそれでいいわけで優秀でなくてもいい。誠意をもって国民の声をききながら政治をしてくれればいいと思うのです。政治がやりやすくなるからといって大連立に走られてはたまりません。
これで大連立をのたまう候補が代表になれば日本には意見を競うという民主主義は存在しえないということになるんでしょうかね。かなり失望するかと思います。

2011年8月8日月曜日

お台場で「韓流やめろ」コール500人ほど

うーん。ある俳優さんが韓流偏重でフジテレビを批判したことで事務所をやめさせられたのがきっかけなようです。なんか反韓流をブームにしたい人たちがいるようですが。
まぁそれはともかく韓流偏重の非難があがることはどういうことか考えてみた。すぐに思いつくのは米国でおこった日本の自動車の排斥運動。日本車を巨大なハンマーでたたき壊すなどした出来事。アメリカビッグスリーの労働者が日本車のあまりの進出に頭にきてやったようです。その後のビッグスリーの運命は周知の通り苦難の中にあります。
これと同じく韓国の番組がフジテレビで多かったようです。テレビは見なくなったのでよく知りませんが番組表をみるとフジばかりでなく他局でも韓国のドラマは放映されているようです。たしかに以前にはなかった現象ですね。
ただこれがよくないことだと批判するのは日本のテレビ番組の貧困さを白状するようなものかとおもいます(笑)。
いえいえ怒らないでください。なんで韓国の番組のほうが力があるかちょっと興味深いのが韓国の人口ピラミッド。検索すればすぐでてきますので一度みてください。それをみると2004年の統計ですが40歳以下が圧倒的に多いのが韓国。日本はうわさにたがわず50歳以上の人口がかなり多く若年層の負担になりそうなのがわかります。
つまりいまの韓国の社会が若さにあふれ行動的なのに日本は老齢化と必死に戦っている社会。なんとなくみても韓国の番組のほうが面白い番組をつくれそうだと思いませんか。
番組の製作者も見せようというターゲットがわかっていますから番組作りもしやすいし反応もいい。それに対し日本では高齢者を意識してかやや硬直化している感じがします。おそらく視聴率も若者と高齢者で分散してしまうのでターゲットがしぼりにくだろうなぁとも思えます。
つまり番組制作では経済的にも文化的にも勢いがある韓国が有利なのはある程度当然。それに負けないでほしいというのがいまの反韓流の叫びなのではと思います。日本のドラマの監督やシナリオライターも頑張って番組作りを企画してほしいですね。
蛇足ですが高度成長期に日本の番組がアメリカでブームにならなかったのはあまりに文化がちがうせいだしむしろアメリカの文化を学ぶためにアメリカの番組を多く放映したかとおもいます。それに対して日本と韓国は文化的にも言語的にも一番近い国。いまのところ新鮮味がある韓流が日本に流れ込んでくるチャンスな時期なのではという気がします。

2011年7月25日月曜日

水戸黄門が今年で打ち切りになるらしい

水戸黄門もさすがに世の変わり様に勝てず終了となるんですかね。
一説には由美かおるの入浴シーンがなくなったからというのもありますがだったら入浴美女を探せばいいという話にもなる。でもはまり役というのはなかなか個性が必要なのでおいそれと簡単にみつかるものでもないのでしょうね。
実をいうと里見黄門になってからはあまりみたことがない。というかもっと前の石坂黄門になってからあまり記憶にない。大正生まれの父はなくなるまでずっと見ていたようですが私的には初期のころの作品は日本人の心の奥底というか琴線にふれるようなものがあったように感じたのですが大人になってくると同じような展開で人や身分などをかえただけかなというシナリオの限界がどうしても感じられてあまりみなくなったようです。
あの水戸黄門が始まった戦後の昭和の時代だからこそぴったりだったのかと思います。あのころの田舎は道路事情も悪く田舎の風景も昔の面影があったものです。いまのように道路が整備され田舎というものがそこらの郊外とかわらなくなると水戸黄門の旅もそれほど地方色がなくなってしまったかと思います。
社会的な面からいうと年功序列ですね。年功序列型の時代だったからこそ水戸黄門のようなお上からの不正の暴露は意味があったわけですが今のような成果主義の時代にはお上もなにもあったもんじゃありません。お上自体が批判の対象になる時代ですから悪代官や城主の不正だけを正すだけではもはや陳腐感があるのでしょう。
確かにいまでも官僚の腐敗とかマンネリ化かとりざたされていますが官僚の問題は複雑で一刀両断にはいきません。ギリシャにみるごとく公務員の特権はなくせばいいという簡単なものでもない。単なる勧善懲悪で済む世の中ではなくなってしまったかと思います。
とえらそうにいってますがついこの間までは松平健の暴れん坊将軍の再放送は時間つぶしによくみていました。こちらは将軍が若いのではつらつとしているのがいい。剣舞も上手なのでみごたえがある。シナリオはまぁ似たり寄ったりですがアクション的に動きがいいのであきませんでした。
いきのいい俳優や役者を上手に動かすことができる作家や監督がでればまた新たな時代劇ができるかと思いますが前作の踏襲だけでは視聴率はあがらないでしょうね。社会の変化にもついていかないといけないんでしょうね。

2011年6月21日火曜日

福島原発事故はメルトダウン→メルトスルー→底抜け?

もう。最悪のメルトダウンじゃないですかと東電にあきれたのもつかのま今度はメルトスルー。東電の隠蔽体質に怒った学者が事態はもっと悪いのではと言い始めた。
そのシナリオは最後の砦格納容器の底もつき抜けいまやコンクリートを溶かしている段階ではないかとのこと。コンクリートをつき抜ければ天然の地面。それをもっと下にいけば地下水が堅い岩盤の上を流れているらしい。これと核燃料が接触すればもう高濃度汚染。簡単に言えば燃えている核燃料の冷却水を海にそのまま垂れ流すようなものみたいな感じですか。
しかも問題なのは東電の姿勢。いままでのシナリオがことごとく悪いほうへいっているのにもかかわらず相変わらず最良のシナリオで動いているようです。東電のいいぶんは今の所格納容器の底は抜けていないということ。だから容器の冷却をしていけば十分対処できるということ。
それに対して最悪のシナリオが底抜け。これを報道では確かめるすべがないといっているのですがちょっと唖然とします。
赤外線の専門家でないのでわかりませんがコンクリートを溶かすんですから2000度ぐらいはあると思われます。そんな高温なら赤外線を検査すればある程度わかりそうなものだと思いますがひょっとしたら原発の建物が赤外線を通さないものなのかもしれません。
もし東電の見方であっていればそれでいいのですがそうでないときは海が高濃度汚染されて初めて気付くわけですから困ったもんです。そのときから処置を初めてももはや手遅れとおもうんですがねぇ。東北の漁業は壊滅するんじゃないかという気がするんですがどうでしょうか。
それにしてもコンクリートに穴が開き始めているのかそうでないのかまったくわからないのは困ったもんです。事故が起こることを想定していなかったとはいえ無策という感はぬぐえません。

2011年6月14日火曜日

原発反対の意味は・・・

イタリアの国民投票で原発再開反対派が圧勝したらしい。まぁイタリアは日本と同じように地震が多いらしいので日本の福島原発の事故はイタリアの国民感情にまともに影響したのかもしれません。
ただ思うに被爆国日本が原爆を体験したにもかかわらず原子力国家を目指した意味は原発が生産する安定的な電力で経済発展を支えることだったと思います。
それがどういうことかというと原発は人口を支えときには人口増加にも耐えうるエネルギー源だったと思うのです。もちろん人口増加は電気の生産増加だけでおきるのではなく他の要因が複雑にからみあっています。ただ電気が安定的に供給されるという保証があれば産業の発展に支障がなく労働力もより容易に得られ人口の増加に寄与するということは容易にわかるかと思います。
つまり原発がこれから経済発展をしようという発展途上国に導入されようものなら人口増加の一つの起爆剤になる可能性がおおいにあるのではと思うのです。もちろん今までの石化燃料による発展はみての通りです。
日本も今でこそ戦争後の影響で老齢人口が多すぎて出生率が思うように増えていませんが高齢者にたいする負担が減少し正常に戻ってくれば当然安定した電源のおかげでなんの不便もなく人口が増加してくることは予想されます。
ようするに原発は安定した電源を保証しさらなる人口増加も保証するものだったのではという気がします。ここで原発をあきらめ自然エネルギーに活路を見出すということは自然がもたらすエネルギー以上の経済発展が抑制され結果的に人口増加が抑えられるのではという気がしないでもない。
なんというか電源において中世の暗黒時代が始まったかというような感じなのですね。過剰な電気があってこそ宇宙にも飛び出そうという気もでるのかと思うのですが無駄なエネルギー、危険なエネルギーを排除してしまうと人類が現状維持のムードになってしまうのではという気もします。
無論現状の原発より危険でなく安定した電源が開発される可能性もありますので一概に電気の暗黒時代がきたなどというわけではありませんがイタリアの国民投票の結果をみでふと電気の暗黒時代が到来したかという印象をもちました(笑)。

2011年6月13日月曜日

パキスタンの治安部隊が丸腰のパキスタンの青年を射殺したことで思い出すこと

一体だれがこのシーンをなんのために撮ったかわかりません。青年がなにか棒なのか銃なのかわかりませんがなにかを取り上げられポンと治安部隊のほうへ背中をたたかれ歩いてゆく。
最初は部隊の車かわかりませんがそちらに顔を向けていたのですが首筋に銃を突きつけられると銃をはらってなにかいいながら銃を突きつけた兵士にむかって進んでいきました。兵士があとずさりしていくとまわりにいた兵士の一人が青年を引きずり戻しました。青年は前かがみになってなにか叫んでいましたがそこへさっきの兵士が銃を再び持ち上げ青年の手と足を撃ち抜きました。青年はなにか叫び声を上げながら倒れ何回か上体を起こしましたが出血がひどくやがて意識をなくして動かなくなります。
これがアメリカのポリスなら映画でみるように車の壁に手をつかせ身体検査をしたあとで話をしながら警察に連行となるわけですがこの動画では兵士が銃を首につきつけたのにもかかわらずその銃をはらいのけてその兵士になにかいいながら突き進んでいったのはまずい。まず被害者側は動かないほうが相手を刺激しなかったかなという可能性はあると思います。
また兵士側も銃をはらわれたというのはまずい。銃をつきつけているわけですから相手をかなしばりに合わせるような態度でないとかえって危険な状態を招くおそればあるように思います。
つまり被害者側も加害者側もどうすべきか手探りで模索しているうちに発砲し発砲されたような感じです。
まぁもっとも治安部隊の兵士が結局発砲したということは相手が強盗犯罪者だという思い込みがあるのかもしれません。また被害者が前かがみになってしゃべっているのも気になりました。
そしてこれで思い出したのがあのハロウィンで間違った家を訪れて射殺された日本人留学生射殺事件。Freeze(動くな)という言葉がわからなくて動いたため射殺されたという有名な事件。刑事事件としては加害者は無罪。民事では加害者側が銃マニアで動物を射殺したりしておこないがよくなくまた当時酔っていたこともあり正当防衛が認められず多額の損害賠償金を請求されたとのこと。
銃マニアの過剰防衛と訓練を受けているはずの兵士とでは比べものにはなりませんがいったん銃を人につきつければ自分も撃たれるおそれもあるし発砲する可能性は飛躍的にたかまります。
ただ治安部隊がどの程度まで発砲の権限を持っていたのかそこがよくわからないのでいちがいにいえませんが危険人物には発砲してよいという状態にはあったのかもしれません。治安が悪化していて警官だけではおさまらないので治安部隊が見回っていたという不安定な状況でおこったという可能性もあります。撃っておいて放置したというのはある程度見せしめ的な要素もあったのかなという感じもします。
そういう場合は手を上げて動かなくても撃たれるおそれがありますがそういう状況だったら被害者はどうしもうもないでしょうね。
ただ客観的には丸腰の青年を何人もの兵士で囲んでいるわけですから発砲せずに制圧することは十分可能なわけで国際的に非難されてもしょうがないでしょうね。

2011年6月8日水曜日

民主党が大連立すると崩壊するだろうなぁ・・・

なにゆえそんなに自民党にすりよりたいのかわかりませんがおそらく大連立解消時には民主党は人数を減らす上に選挙にも惨敗する気がしますのですくいようがないような気がします。
かつての自民党のように社会党に首相の座を与えても政権を維持した狡猾さはみられません。自らの党から首相をだし大臣のポストを自公に与えいい思いをしようという魂胆が丸見え。
しかしですねぇ。長く政権にいた自民党が政権の椅子を半分以下とはいえ手中に収めればどうなるか。民主党の中でさえまとまっていないのにさらに異分子を政権に引き込んで無事に済むはずがないと思うんですがね。
うーん。よい面を考えれば大連立の中で下克上がおこり政策的に再編成がおこなわれればまだ救いがあるのですがどうも日本の政党がイギリスのように明確に政策的な対立ビジョンを示すことができるとはあまり思えない(笑)。結局派閥の再構成になり民主党から自民党に寝返る連中が続出するという感じですか。
だいたいにおいて首相を批判するのはいいんですが批判ばっかりではねぇ。まぁ菅首相に批判に耐えうるような強力なリーダーシップがあればいいんですがたしかにちょっとぶれすぎかもしれません。他の民主党員と同じく批判は得意だが政治にはうといというのは多少困る。
もうちょい政治がわかる人がいいんですが大連立すれば民主党は終わりな気がしますので無理かな。
民主党が勝利したときの国民の希望は自民党に対立しえる2大政党の一翼を担う政党の出現だったと思います。これにこたえられず自民との大連立で民主党のイメージをこわしてしまってはなにをかいわんやです。初心を忘れてしまっては迷路に入るばかりかと思います。

2011年5月20日金曜日

石油とウランの日常的消費はいずれ人類滅亡へと導くか?

第二次世界大戦前は人類が地球上でどんなに戦争しようと地球自体にはほとんど負担にはなりませんでした。しかし第二次大戦後は石油の大量消費が始まりその石油資源の枯渇をみこして今度はウランを燃料とした原子力発電所が次世代のエネルギー源として発展してきました。
しかし石油の大量消費の経常化が引き起こす影響は大きく、二酸化炭素による地球の温暖化。オゾンホールの拡大が心配されています。そしてそれにとってかわるエネルギー源としてウラン燃料が脚光を浴びました。これこそが次世代のエネルギー源の主役だと日本などは確信したのでしょう。次々原子力発電所をつくり原子力主体のエネルギー確保をめざしたのです。
しかしウラン燃料の原子力発電所はなんらかの故障をすると放射能が漏れる危険性がありました。それを絶対安全だからという技術力の前提で建設をおしすすめたのですが東北大震災で安全神話が崩壊しました。これをおそらくカトリックの影響がある与謝野馨氏が「神のなせる業」とかいって東電をかばっていますがあたまのいい与謝野氏にしては拙劣なかばいかた。福島原発を火力発電所におきかえればいくら神の業でも放射能汚染はおきないのです。人間が原発をあそこに建設したから最悪の原発事故が起こったわけでまるで人間の交通事故を神の業といってにげるようなもの。かばいようにもほどがあるという感じがします。ウラン型の原発ではどんなに安全につくっても地殻変動で地面が割れたりすれば元からこわされる可能性はいつだってあるわけです。たしかに確率は低いですが確率が低いからといって麻雀の役満を神の業がなせる業といって言いぬけるのは愚かとしかいいようがない。良家のお坊ちゃんの自己満足的な発言にしかきこえない。
それはともかく石油といいウランといいあまり地球や人間にいいものではない。石油の大量消費については前述の通り。そしてウラン燃料は事故れば世界中に放射能を撒き散らし人類滅亡へと導きかねない影響がある。
人口が急激に増えているのが中国とインド。かつては産業革命などの経済の変革がおこると戦争によって押しくらまんじゅうをしてきたのですがこれからの時代は戦争をするとあっというまに全世界をまきこんでしまいますから中国インドでさえ大規模な征服戦争という手段はあまりとれないようです。
重要なのはエネルギー政策。いままでのように石油とウランにたよっていると地球や人類によくないことがおこるのは実証されてきていると思います。へたをするとオゾン層崩壊や放射能の蔓延で人類が滅ぶ可能性だってあるわけです。今はまだ日常的には平気でも神の業的な天変地異は必ず起こります。おきてからではもう遅い。ノアの箱舟に乗れる少数の人しか残らない可能性があるわけです。
ただ技術革新が飛躍的にすすめば人工光合成、藻による人工石油生産、ウラン型よりははるかに安全なトリウム型原発など地球や人間に悪影響をあまりあたえないエネルギー源が確保される可能性もあるようです。神の業で人類が滅びるような技術ではなく神の業でも人類が滅びないようなエネルギー源の開発が期待されます。

2011年5月6日金曜日

浜岡原発菅首相運転停止を要請

もし浜岡原発の運転を本当に停止するならばなかなか画期的な出来事かと思います。これはまず自民政権ならおそらくしないかできないかと思えます。しがらみのない民主党だからできるような気がします。ただ問題はこれがただのパフォーマンスなのか代替エネルギーへの転換を見据えて言っているのかです。
もっとも浜岡原発が福島原発のような事態になったら放射能は偏西風にのって首都圏を直撃しますからまさに日本沈没の騒ぎになります。ここは国土の広いロシアではなく国土が狭い日本ですから関東平野が放射能で使えなくなったらまさにえらいことです。
いままでは想定外として無視してきた事態をようやく政治的にとりあげたという感じです。菅首相としてももし浜岡原発が大事故になったら原発事故総理としてよろしくない名前が残りますのでようやく重い腰をあげたというところですか。
まぁ中部電力はそれほど原発に頼っていないのですがやはり原発がなくなると何百万キロワット出力が減るわけですから電力政策を早急に建てなおす必要があるでしょう。
まず例の50/60の周波数問題。自然代替エネルギーに本腰をいれようにも狭い範囲ではどうしてもむらがでますから日本全国どこで自然代替エネルギー発電をしても日本全体で使えるようにしたい。
また国立公園に風力発電は建てられないようですがこれもある程度考え直す必要があるのでは?自然の中からエネルギーをとりだすのですから国立公園もある程度我慢する必要があるでしょうね。
あと日本は海にかこまれていますので海で電気をつくる工夫をもっとするといいのではという気がします。さらにいうなら小笠原諸島に大電力生産基地をつくってもいいのでは。浮体式風力発電でもいいし波力発電でもいいし海流発電でもいい。漁業権でがんじがらめで発電できないと言うのは自分の首を絞めているようなものですから漁業権と発電をなんとかしてほしいですね。
また原発を中止しても火力にいつまでもたよるわけにはいかないのですから電力政策の転換を民主党がうちたてることができれば選挙にいい影響をあたえるかもです。

2011年4月11日月曜日

民主党惨敗

今回の地方選はわかっていたこととはいえ民主党惨敗。せめて都知事選で蓮舫氏を擁立できたら勝てる要素はあったかと思いますがいまとなってはまったくの惨敗。どこにも明るい面がない。
どうしてこうなったかというとまず鳩山初代首相の優柔不断さ。選挙の公約も選挙に勝つための口約束でしかなかったことが明らかになるにつれ失望感が広まる。さらに引き継いだ菅首相もおもいのほか実行力がなくさらに悪いことには自民党の大臣だった与謝野氏を大臣にするなどして大連立をめざすがごときの動き。
中央がそうなら地方の都民主党もまるで現職知事にあらがうことができず築地市場の移転問題でも寝返るものがでる始末。つまりどこにも民主党らしさがみえない。
こんなにオタオタしている上にどことなく自民党にすり寄ろうとしている姿がみっともない。もっとも次回の選挙では当然に自民が第一党になるのは目に見えていますから今のうちに鞍替えしようという人たちがいるのも当然か。
自民党政権もひどかったが民主党政権も似たり寄ったりとすれば国民はどうしたらいいんでしょうかねぇ。
大雑把にいえば小さい政府の自民と大きい政府の民主党という枠組みがあったような気がしますがどうなんでしょうかねぇ。最初のいさましい勢いはどこえやら八ッ場ダムなどはうやむやのまま結局は建設してしまいそうだし震災でさらにお金不足みたいだし、たのみは震災後の復興景気だけのような気が。
しかし自民党を選べば増税と切り捨ての嵐になるのは目に見えるようです。震災のときにチャンスだとばかりさぁ増税だと鼻息を荒くされたのも記憶に新しい。しらけるばかりです。
大災害がおこったから政府に早速増税してもらって国を立て直してもらおうと思う国民がどれぐらいいますかね。単に増税して収入を増やそうというのはえらくもなんともない。増税する前に国民に理解を得るとかそういう手順を考えるのが政治家の仕事でしょう。
今回の震災で大型の寄付をした人の名前があがっていますが大きな利益を得た人が社会にそれを還元するというのはなかなかすごいですね。そういう行為にはアピールの要素があるかもしれないとはいえ心をうつものがあります。
民主党が勢いよく自民党を批判して政権党になりました。政権党になったとたん批判ができなくなって過去の政権党の真似をしだしては国民の不幸です。
あの英国のチャーチル元首相でさえ選挙で敗北をしています。選挙に負けること自体は恥ではない。恥なのは「らしさ」をなくすことかと思います。英国の保守党と労働党のように国民に2大政党の選択をあたえることが目標だったのなら自民党だったらこうだろうが民主党はこうやるのですという「らしさ」を鮮明にすることが大事だと思います。そして国民に選択の余地をあたえることが、目標の2大政党制に近づく道かと思いますが今のままでは2大政党としての片翼としてのつばさを失いそうな勢いなのは残念です。

2011年4月5日火曜日

電源は何に依存すべきか:石炭・石油・天然ガス・原子力・水力・その他

主要各国の電源別発電電力量の構成比をみてみる。→http://uri.sub.jp/m/?p=1153
各国の各電源への依存度をみると
石炭:中国、インド
石油:強いていえば日本、イタリア
天然ガス:イタリア、イギリス
原子力:フランス(断然)、韓国
水力:ブラジル、カナダ
その他:ドイツ、イタリア
となっています。フランスの原子力への依存度が突出しています。

ただ各電源への得意不得意はあるでしょうが一つに偏向するのはどうですかね。
石炭・石油・天然ガスは燃やすのに便利で大量に手にはいればいうことありません。ただ二酸化炭素が増えて温暖化という問題があるし資源の枯渇の問題もありずっとこれにたよることはできないl。
原子力は少量で多量な電気をつくれるし経済的にもすぐれているようです。ただ今回のように想定していないような天変地異がおきればその地域一体が壊滅状態になる可能性が常にあるし世界的な汚染を引き起こす可能性もある。また使用済み燃料の処理ができずたまるいっぽう。私のような素人だと火山のマグマに放り込んで溶かしてしまえと思うんですがそうはいかないんですかね。
水力は環境にはあまり問題はないと思いますが日照が続いたりすると困るときがあるかもしれない。
その他、太陽電力は火山の大爆発でお空が火山灰でふさがれると発電能力ががくっと落ちる可能性がある。風力発電は台風などがくると正常な発電ができなくなる恐れがある。波力発電も台風で海が荒れると正常な発電ができなくなるおそれがある。

というように各電源には長所も短所もあるので一つの電源にこだわると環境が一つ変化しただけで全滅する可能性が常にあるような気がします。

そんなこと考えたらなにもできないだろうといわれれば困りますがやはり電源は適当に配分しておくのがいいのではと思います。
ただ原子力発電はもう地域一体が全滅状態になりますのでもうこりごりというところです。だから原子力発電はそう増やさずに太陽・風力・波力・海流などの自然代替エネルギーの活用をこの機会に大いに勧めてもらいたいですね。

2011年3月22日火曜日

原子力施策の転換

最近の日本の電力政策はチェルノブイリやスリーマイルの原発事故を忘れたかのように原子力一辺倒になっていました。なっているどころかもう世の中は原子力時代以外ないとてもいうようにCMをたれながし自信満々を通り越して傲慢ともいうべき態度だったと思います。世界が原子力依存から脱却しようと努力しているのに一人日本だけが原子力発電に自信満々邁進していました。まさに自分たちの技術力におごり世界の原子力アレルギーを睥睨していました。
しかしここに自然からの天罰ともいうべき裁きがくだりました。「想定外の地震と津波」により技術神話がもろくも崩壊しまさにその傲慢さの代償を払うことになったのです。
とかっこよく書いたものの問題は現実にどうするかです。
例の東西の50/60ヘルツの変換がどうも面倒です。この東西を分断する周波数の違いにより全国的な電力の平準化を妨げているのです。素人なのでわかりませんが春夏秋冬で電力の使用量に偏りがあるかとおもいます。周波数による分断がなければ自然エネルギーを利用した発電機がより設置しやすくなるかと思います。
電器製品などはほとんど50/60兼用になっているかと思いますので大元の電源をどちらかに統一してほしいですね。発電機自体を交換しなければいけないんですかねぇ。いわゆる周波数変換所は平時にはあまり必要ないんで無駄な設備といえば無駄なわけで非常時用に数千億円の大金を投じるなんてことはあまりしたくないでしょうしねぇ。とはいえ最悪の事態が発生すれば今回のように東西で電力を融通できないわけで問題ですね。やはり統一すべきでしょうね。どちらかに。そうすれば自然エネルギーの利用も東西に関係なくできるわけでやりやすくなります。
50/60ヘルツの問題は日本に技術力があるためにかえっておざなりになった感があります。しかしず~っと将来を考えれば地殻変動は確実にあるわけで想定外の変動も日本には潜在的にあることが実証されたわけですから原子力発電所依存から自然代替エネルギーへとかわっていくのが自然な流れかと思います。

2011年2月27日日曜日

民主党の凋落的思考法

今日のニュースで河村たかし名古屋市長と玄葉国家戦略相(民主党政調会長)が会談したという。そのなかで玄葉氏が「国民に嫌われても、やらなければいけない政策がある」といったという記事がYomiuri Onlineに載っていました。
たしかに論理的にはそうかもしれませんが政治家の言葉とは思えない。なぜかというとこういう上から目線で言っても首にならない官僚のお言葉なら一般人としてはどうにもならないので聞き流すだけですが選挙権をもつ国民としては「国民に嫌われてもやる」という言葉は当然響きがよくない。ガソリン税廃止をいってたくせに廃止はもってのほかで嫌われてもやる。収入が足りないから消費税アップを嫌われてもやる(笑)。とまぁきこえてくるわけですね。ということはなんら自民党とかわりはない。むしろ官僚と仲良くなっていた自民党のほうがうまくやるんじゃないのと思うのが自然の流れかと。いままで官僚を批判してたくせに官僚にすりよるような態度では自民党にかなわないような気がするんですけどね。
もしいま総選挙をすれば大敗すると自覚しているのだからなんとかイメージの落ち込みをふせがなければいけないのに若手のホープがまるで官僚の代弁をしているような感じではいただけない。というかなさけない。
おそらく河村氏のひきいる減税日本が今後台風の目になるようなきがするんですがどうでしょう。小泉氏が公務員を批判して総選挙で大勝したように国民に訴えるにはつぼがあります。今の河村氏が強いのも官僚に丸飲みされないという気概があるからでしょうね。官僚に数字をならべられて呆然として官僚に頭をさげているイメージが今の民主党ですから人気がでるわけないしもはや自民党票からの寝返りも期待できなくなるわけですから大敗はいかんともしがたいところ。
ではいままで民主党に期待していた票はどこへいくのか?そこがわかりずらいですが基礎票で自民党は優位にたっている気がしますのでます第一党は自民党か。あとみんなの党が第三勢力としてどのぐらい頑張れるかがよくわからない。いまのところマスコミ的には音無しですが選挙が近づくとどうころぶかわからない。そして問題なのはこの河村氏の減税日本。これが国政レベルで影響力をもつかどうか今度の地方統一選で真価を問われるかもしれません。一言でいうと自民党化した民主党はまったく魅力ありませんからこちらになだれこむ可能性がないともいえない。
ネット革命が北アフリカに吹き荒れガダフィ大佐も風前の灯という状態。いままでの政界の古い枠組みで政治をしようとすると思わぬ反撃をくらうような気がします。

2011年2月8日火曜日

子供手当てはどうなるのかしら

地方が子供手当ての負担を拒否していますね。初期には民主党の目玉政策でしたがここにきて地方の反乱が噴出。2011年度の子供手当法案が通るかも怪しくなっているようです。
もし通らなければ以前の児童手当が復活するしかないわけですがいきなり復活しても混乱するでしょうね。また扶養控除などが廃止されているために国民には控除廃止分の増税が待っているということになる計算。
そしてもし子供手当法案が通ったとしても今度は地方の反乱が待っている。民主党の公約が国の全額負担だったわけですから公約違反の謗りはまぬがれず猛反発を食らっている。地方としては柔軟性のない子供手当の地方負担分をを恒常化されるのはいやだし半分近くが保険料や貯蓄にまわされる子供手当自体に不信感をもっている。地方分権にそぐわないものとして拒否反応が増大している。
いったいなんでここまで反発が強まったのか。まずは実務上の不手際が大きいのかもしれません。地方分権を唱えていた民主党のわりには地方との意見の疎通がうまくいっていないようす。つまりは根回しがうまくいっていない。まぁ初心者運転ですから多少は大目にみるとしても与謝野氏に無知だと言われるほど実行力に欠けているのはまずいかも。
そして殺し文句は頭に子供をつけた究極の定額給付すなわちばらまきだという批判。これはすこしぐっときますね。麻生元首相の定額給付でも究極のばらまきだと批判があったわけですがそれに子供をつけただけの定額給付といわれると頭の中で半分は納得してしまうのだから困る。
マスコミであまり評判がよくないですから子供手当に対するイメージ自体がもう半分崩壊しているのです。ひょっとして子供手当などはやる必要がなかったのではという疑惑が心の中をよぎる。すなわち子供手当てのために控除廃止という増税がなされているのに財政の逼迫状態は相変わらずでさらに消費税の増税が待っている。少々うんざりかと。